思い出のようなもの

振り返るには思い出が多すぎるし、KAT-TUNのことを語るには言葉が足りない。だから書けないでいたけど、でも今書かなくては。

コンサートの感想でも、10周年のお祝いでもないし、KAT-TUNの話とも少し違う。思い出のようなそうではないようなよく分からない全く意味のないものだけど、書きたいから書く。

 

KAT-TUNを好きになってから今までのことを覚えているかといえば、『ずっと前のことだから よく覚えてない』。だいたいそんな感じなのだけど、だたKAT-TUNを好きになってからはいつどの瞬間も、時に緩やかに時に激しく"好き"だったことは覚えている。…というより知っているし染み込んでいる。毎日の歯磨きや食事や入浴や、そんな習慣のように私は当たり前のようにKAT-TUNの音楽を毎日聴いては"好き"を募らせた。

ときどき自分でも不思議になるこの"好き"な気持ちを、自分なりに分解してみようと試みたことが何度かある。でもそれは毎回不毛に終わってしまった。分からないから当然自主的に"好き"をやめられない。だから今もまだ"好き"が厭きずに続いているのだと思う。

どうしてKAT-TUNが好きなんだろう。具体的な例をあげようと思えば、いくらでもあげられるけど、そうやってあげられる理由の中に、私がKAT-TUNを好きな本質はないのではないかとたまに思う。もうそんなところまで来てしまった。あまりにこの気持ちが馴染んで染み着いて、今さらその訳も手放す方法も分からない。

 

KAT-TUNの始まりは、6人だった。6人のメンバーそれぞれの名前の頭文字を取ったのが「KAT-TUN」というグループ名だった。

でも赤西仁が抜け、田中聖が抜け、KAT-TUNは5人になって4人になった。そして名前の頭文字は、亀梨和也が「KA」を背負ったり上田竜也が「TU」を背負ったりした。

そんなのはあんまりじゃないかと思ったけれど、結局本人たちがそうだって言うんだからもうそれでいいや、と片付けた。空白になったそれぞれの場所をどう処理したらいいのか、どう思えばいいのか、私には分からなかったから。

もしかしたらKAT-TUNも分からなかったのかもしれない。冷静を装っていても、全く冷静ではなかったのかもしれない。

微かな綻びがとうとう隠せない所まで来た。それがきっと田口淳之介の脱退だった。

 

「~かもしれない」話を続けるけど、仁や聖が辞めていなかったら、田口くんは辞めることはなかったかもしれない。私はそれがまるで正解かのように考えている。本当のことなんて知る由もないのだけれど。

田口くんが辞めないということは聖が辞めていないということ。聖が辞めないということは仁が辞めていないということ。

でも、じゃあそもそも仁は何で辞めたのだろう。今さらの話だけど、今だに腑に落ちないままだ。

2010年の夏を私はよく思い出せない。

 

きっと赤西仁にとってもKAT-TUNは『宝物』だったと思う。そう思うしそう思わせて欲しい。

無気力で棒立ちで鉄仮面でも、KAT-TUNの曲を歌う歌声はいつもとても優しかった。でもその隠せない優しさは、彼自身を一切救っていなかったみたいだけれど。

「Love yourself ~君が嫌いな君が好き~」の時。私は初めてじんかめにトキメかなかった。背中合わせで歌うだけで抗えない魅力を放っていたのに、あの時のふたりは背中合わせでも宇宙の端と端にいるくらい離れてしまっているように思えた。

私が好きになったシンメが、完全に壊れてしまっている。その事実を叩きつけられたみたいで、大好きな曲なのに歌番組はなかなか見返せなかった。

 

それを経ての2010年のあの夏だ。気付いたら仁がいなかった。『KAT-TUN赤西仁』がこの世界から消えていた。世界が終わったみたいだった。KAT-TUNが終わるんじゃないかと思った。

でも、KAT-TUNは終わらなくて。まるでそれが当たり前かのように自然かのように、不自然に『赤西仁』がいないKAT-TUNを進めていた。

 

5人は必死でKAT-TUNを繋いでいた。『世界の中心は俺たちだ』と信じて疑っていないようだった人たちが、初めて必死に世界を自分の元に手繰り寄せているような姿を見せた。

ファンを「ハイフン」と呼び始め、手を繋ぎ始め、言葉で繋がりを求め始めた。

KAT-TUNを心底イヤになりそうだった。でも決して嫌いになれなかった。5人が歌う曲が私を引き留めていたし、何より今投げ出すのは悔しい気がした。もっともっともっと魅力的な人たちなのに、もっともっともっとカッコよくなれる人たちなのに、今投げ出すと絶対に後悔するからとそう思った。

桜の散る季節になると5人のKAT-TUNを思い出す。刹那の夢のようにKAT-TUNを繋いでくれた彼らにとても感謝している。崩れそうな程に揺れていた。その姿を見せるのはプライドを傷つけることだったと思うけど、激しく揺れながらでもKAT-TUNを繋いでくれたから、本当に感謝している。

 

I hope our style would be accepted someday.』(jwebのKAT-TUNの連載で、聖が仁に宛てた一文)

俺たちのスタイルがいつか認められればいい。その願いを曲げて聖はファンに寄り添ってくれた。不安に感じているファンに「大丈夫だよ」と言葉を掛け続けてくれた。最終的にああいう結果になった事をもっと上手くできなかったのかな、馬鹿だなと思う。でも正しいことがずっと聖を傷付けて蝕んでいったのかもしれない。だからもう正しさで聖を傷付けるのはやめようと思う。仁がいなくなった時、聖の願いも途絶えてしまっただろうから。スタイルが受け入れられないということは存在しないということと似ているような気がする。

 

KAT-TUNのパブリックイメージを担っていたような2人が辞めてしまったから、4人になった時、とても不安だった。KAT-TUNはどういう風になるのか不安でどうしようもなかった。だけどそんな不安も杞憂に終わったのは、4人のおかげだ。

これから4人でやっていこうと腹を括る彼らは、希望を感じるくらい輝いて見えた。人数の関係でひとりひとりにスポットライトが当たりやすくなって、ひとりひとりどんどん磨かれていくのが、明らかに分かった。

特に田口くんの成長は目覚ましいもので、歌もダンスも人を惹きつける力もぐんぐんと上がって行って、すごく頼もしかった。こんなにKAT-TUNにおいて田口くんを頼もしく思えることが新鮮で嬉しかった。田口くんのこと大好きだったけど、もっともっと大好きになった。

4人のKAT-TUNは、素直に大好きと言えた。もし今までの記憶がリセットされて初めて見たのがこの4人のKAT-TUNであったら、私は普通にこの4人のKAT-TUNのファンになっただろう。それくらい普通に素直に大好きだった。

KAT-TUNを守るだけではなく、さらに魅力的にしてくれたことが嬉しくてたまらなかった。本当に本当に嬉しかったよ。だから、田口くんが辞めると分かった時は信じられなくて、ただ茫然とした。

 

私ならきっと、すでに投げ出している。

KAT-TUNはデビューする前に5年の時間があった。その5年間、喧嘩したりしながらも、すごく濃い時間を密接に6人で過ごした。10代の5年っていうのはとても大きい。

その大事な5年を、一緒に過ごしてきた仲間を、あの人たちが大切に思わないわけがない。

その大切な人たちとこれ以上一緒の道を歩めない。隣を見ればそこにいた存在がいなくなる。その喪失を1度ならず3度経験した。もう充分だと肩を叩いてあげたくなる。

今までありがとう。もう走らなくていいよと。KAT-TUNがいなくなれば、私は迷子のようになってしまうかもしれないけど、それでも、もう充分だよと。

 

でも、そうしないんだね。『充電期間』に入ってはしまうけど、まだKAT-TUNを続けていくんだね。まだ走るんだね。どうしてそんなに強いんだろう。

 立ち止まることで自覚する痛みもあると思う。そんなこと知っていると思うけど。それでも充電してまでまた走り続けようとする3人は本当に凄いなぁ。

 

ファンにとって、好きになったグループのメンバーがそのグループを愛してくれることは最上の幸せだと思う。

KAT-TUNを好きになってよかった。一瞬でも『KAT-TUNを好きにならなければよかった』と思ったことはなかった。思わせないでいてくれた。私もそれなりに悲しかったり苦しかったりしたけど、いつも最後には『KAT-TUNが好きだ』という気持ちに落ち着いた。だから、本当にありがとう。

 

私はいつになっても6人のKAT-TUNを捨てられないだろうし、もういい加減いろいろと止めたいんだけど、それでもそれを丸ごと受け入れてくれてありがとう。だから戦えっていうなら戦うよ。

 

だからまた港で会いましょう。絶対ね。